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最高裁判所第一小法廷 昭和44年(あ)1833号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を札幌高等裁判所に差し戻す。

理由

弁護人山本隼雄の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の判例は事案を異にして本件に適切でなく、その余の論旨は事実誤認の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条所定の上告理由にあたらない。

しかし所論にかんがみ、職権で調査するに、本件公訴事実の要旨は、「被告人は、自動車運転を業とするものであるが、昭和四二年八月四日午後三時一五分ごろ自動二輪車を運転し、北海道浦河郡浦河町字向別五八七番地の交通整理の行なわれていない丁字路交差点を向別方面から堺町方面に向かい進行中、丁字路を右折するにあたり、右折の合図をし徐行して対向車両または右側の並進車両、もしくは後続車両との安全を確認してできる限り道路の中央に寄り、交差点中心の直近内側を進行しなければならない注意義務があるのに、後記工藤運転の車両との安全を確認せず、道路の左側を進行し、交差点直近において初めて右折のウインカーを点滅し、かつ交差点の約八メートル手前において時速二五メートルで右折進行した過失により、後方から進行して来た工藤博(当一八年)運転の原動機付自転車に自車を衝突させ、よつて、自車に乗つていた渡辺正義を、同月五日午後〇時四三分ごろ同町東町二三〇番地浦河赤十字病院において、頭蓋骨々折により死亡するに至らしめたほか、前記工藤に対し、加療三七日間を要する頭部打撲、左下腿打撲の傷害を与えたものである。」というのである。すなわち、本件は、被告人が右折方法に適切を欠いたこと、および後方安全確認義務を怠つたことを過失の内容とする業務上過失致死傷の公訴であるが、これに対し、第一審裁判所は、被告人が右折方法に適切を欠いたかどはなく、また後方安全確認義務を懈怠したこともないとして、無罪の言渡をしたところ、検察官からの控訴に基づき、原審は、被告人が右折方法に適切を欠いた過失がないことは第一審判決認定のとおりであるけれども、後方安全確認義務懈怠の過失は認められるとして、第一審判決を破棄し、原判決の「罪となるべき事実」の項に判示されているような業務上過失致死傷の事実を認定して、被告人に対し有罪の言渡をしたのである。そして原審が破棄の理由として判示するところは、「原審(第一審を指す。)において証人若有泰長は、被告人の車が交差点の手前三〇メートル位にあり、かつ工藤の車がその後一〇メートル位のところにあつたのを目撃したと供述しており、また証人工藤博も事故現場の約三四メートル手前で被告人の車は前方一〇ないし一二メートルを進行しており、また約二四メートル手前では被告人の車は16.7メートル先に進行していたと供述しており、右供述の真実性に疑問を抱かせる点は見当らない。そして右証人若有および同工藤の供述によれば(原判決第一審判決を指す。)が認定している、被告人が後方を確認している地点においては、工藤の車は当然被告人の視野の範囲内にあり、しかも、被告人車が交差点内で右折を開始したならば、その具体的場所のいかんを問わず、また相当減速したうえでの右折であつたとしてもそれとの衝突の危険がある位置関係にあつたといわざるを得ないのである。そうとすれば、被告人が本件当時右折に際して原判決(第一審判決を指す。)が認定しているような後方確認措置をとつたとしても、その確認は、前認定のような位置関係にあつた後続車を発見し得なかつたという不十分なものであると認められるから、被告人は訴因に記載されているような後方の安全確認義務を怠つて右折を開始したといわざるを得ない。」というのである。

以上により明らかなように、本件は前記浦河町字向別より堺町に至る道路を、被告人が自動二輪車を運転し、向別方面から堺町方面に向い進行し、右道路と丁字形に交わる道路に右折しようとした被告人の車に、被告人の後から進行して来た工藤博運転の原動機付自転車が追突した事件である。

思うに、道路上を進行中の車両(以下「車両」ないし「車」とは、道路交通法にいう自動車および原動機付自転車を指す。)が右折しようとするときは、通常、その道路における交通の流れを妨げ、他の車両(本件は車両相互の事故であるので歩行者のことはしばらく措く。)、特にその後方を同一方向に進行中の車両(以下「後進車」という。)との衝突を惹起する危険を包蔵するものである。したがつて、右折車の運転者は、右折を開始するにあたり、まず右の点に留意して、後進車との衝突を回避するよう配慮すべきものであることはいうまでもない。

しかしながら、右折過程の進行するに伴ない、対向車および右折後進入すべき道路の他の車両との衝突の危険がしだいに増大することもまた見易い道理であつて、右折車の運転者は、これらの車両との関係において、前方の安全を確認すべき義務を負い、後方の安全のみに注意を奪われていてはならないのである。

他面、後進車の運転者は、その本来負うている前方注視義務を怠らない限り、先行車の動静は当然に知りうるところであり、先行車が右折しようとした場合も、ただちにこれに対応すべき措置をとることが容易なはずである。

道路交通法が、右折車と後進車との関係について、まず、右折しようとする車両においてその合図をするとともに、できる限り道路の中央に寄つて(同法三四条二項、五三条一項)右折の意図のあることを他車に示すべきものとし、後進車は、この合図のなされたときは、その先行車の進行を妨げてはならず(同法三四条五項)、これを追い越すにあたつても、先行車の速度、進路、道路の状況に応じて、できる限り安全な速度と方法で、先行車の左側を通行すべきこと(同法二八条一項、三項)を定めているのも、右のごとき見地から、右折車が右折準備態勢に入つてのちは、後進車において先行車の右折に対処する措置をとるべきものとしていると解される。

もとより、車両の衝突事故は、万般の事情が競合して発生するのであり、特にわが国現時の交通事情にかんがみるときは、先行車の運転者は、いかなる場合でも、右法規に従う運転をしさえすれば足り、それ以上の後方安全確認義務を負うことはない、ということはできない。道路の状況、交通の状態にかんがみ、後進車の運転者において必ずしも適切な対応措置をとるものとはなしがたいとか、違法異常な運転をする者の存在を認めたとかの、特別の事情があるときには、かかる事態に応じた後方安全確認の手段を尽くすべき義務があるのは当然である。

これを要するに、右折しようとする車両の運転者は、その時の道路および交通の状態その他の具体的状況に応じた適切な右折準備態勢に入つてのちは、特段の事情がない限り、後進車があつても、その運転者において、前掲のごとき交通法規の諸規定に従い、追突等の事故を回避するよう正しい運転をするであろうことを期待して運転すれば足り、それ以上に、違法異常な運転をする者のありうることまでを予想して周到な後方安全確認をなすべき注意義務はないと解するのが相当である。

しかるに原判決は、被告人が法に従い右折の合図をして右折を開始したもので、右折方法に不適切のかどはなかつたことを是認しながら、被告人が本件当時とつた措置よりも周到な後方安全確認をなすべき注意義務を被告人に負わせることを相当とするような特段の事情につき、なんら説示することなく、単に前摘示のごとき判示をするのみで、ただちに被告人に後方安全確認義務懈怠の過失を認めたのである。

してみれば、原判決は、右の点において、刑法第二一一条前段の解釈適用を誤り、ひいて審理を尽くさなかつた違法があり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認める。

よつて、刑訴法四一一条一号により原判決を破棄し、同法四一三条本文に従い、本件を原審である札幌高等裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。(入江俊郎 長部謹吾 岩田誠 大隅健一郎)

(松田二郎は退官につき署名押印することができない)

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